函館ちゃんちゃんこ物語16
「函館ちゃんちゃんこ物語」
毎年届く年賀状。その中には学生時代の懐かしい仲間のものもある。
ここ数年多くなったのが、「退職」の知らせだ。いつの間にかみんな年を取った。
道場海峡男(どうばうみお)は、ふと、大学の研究室の機関誌「学大地理」を本棚の隅から取り出した。色あせた機関誌だが、一瞬のうちに学生時代の記憶が蘇り、心がときめいた。
「コンダクター山高焚人の野望」
買い物から帰って来た道場海峡男は、雀荘さとう下宿の玄関を開けた。玄関のすぐ右にある山高の部屋から、音楽が聞こえる。
「新世界だ!」
あまりクラッシック音楽は詳しくないが、「ドボルザーク」くらいは一般教養!として知らなかったら恥ずかしい。・・・小学生でも知っている?!
山高の部屋をノックしたが応答はない。海峡男は思わず吹き出しそうになった。中にいる山高の姿を想像したからだ。
穏やかな弦楽器の音、金管楽器の響き、激しいティンパニのリズム・・・お馴染みのメロディーが次々に聞こえる。
・乱れた髪の毛、柔らかにつぶった可愛い瞳。
・静かにメロディーを口ずさむ、おちょぼ口。
・がに股の短い足。
・そして手には、赤く塗られた一本の箸。
彼はコンダクターなのである。・・・彼の部屋では!!
山高焚人(やまたかふんと)本名ではないが「焚人」という名前が付いた。彼の風体からそう付いたらしい。本名は「潔(きよし)」だ。
クラッシック音楽が好きな彼は、交響曲を聴くといつも手に箸を持つ。もちろん一本だ。一膳の赤い塗りの箸を交互に使って、自らの!オーケストラの指揮を執る。
6畳の部屋で。
海峡男は、こっそりと山高の部屋に入る。部屋の隅にはもう先客がいて、間本久直が横になっていた。目をつぶって音楽に聴き入っていると思ったら、第3楽章の激しいティンパニの音でびっくりして飛び起きた。寝ていたのだ・・・。
「おお、海峡!」
こっちに気付いて、間本が小さな声で話しかけてきた。決して演奏の邪魔を・・・いや指揮の邪魔をしてはいけない。海峡男も小さな声で、
「間本さんはいつからここに?」
と聞くと、
「30分くらい前かな?この曲の始まりの、指揮者入場のときからだ」
と、間本は自慢げに答えた。何が自慢なのかはわからないが、さっきは寝ていたのは確かである。
部屋の中で一人の時でも、もちろん指揮棒を振るっているコンダクター山高ではあるが、観客がいると力が入る。それも、指揮者入場の時から客がいるというのが理想だ。下宿の廊下から部屋に入ってくるのだ。
「新世界より第4楽章」は、彼の見せ場の一つだ。躍動する上半身、ふり乱れるやや薄い前髪。何十分も彼の演技は続く。全く疲れ知らずなのである。胴長で、足が短く、体も小さいが、タフなところは本当に感心する。
山高ー焚人ー潔は、夢に向かって日々確実に突き進んでいた。
ただし、彼の専門は体育である。
続きます
※おことわり
この物語は、実際にあったかどうか疑わしいことを、作者の老化してぼんやりした記憶をもとに書かれていますので、事実とは全く異なります。登場する人物、団体、名称等は、実在のものとは一切関係はありません。
また、物語の中の写真はすべてイメージです。