婦人科便り249 治療を拒否する人にどう声をかけましょうか。 | 婦人科備忘録

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ある婦人科医の独り言です

ネタ提供ありがとうございます。

 

GWも最終日の5月6日

こんなディープなお題を頂戴した。

延々と続く帰省ラッシュ、交通渋滞の車の中で

おしっこ我慢しながら読んでいるマダム、ムッシュ

お疲れ様です。いい加減、しりとりも飽きたろう。

家族旅行でブログ読んでる場合か

とか思いつつ・・・

 

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Q.

   がんの闘病中です。

 闘病していることを知っている知人から

「友人ががんと診断されたけれど、鬱状態になって、

 治療を受けなくなった、どうしたらいい?」と

相談を受けました。

 私には、どうしたらいいか、わかりません。

 

A.

デリカシーのない知人は放置プレイでいいと思います。

「さあどうしたらいいだろうねえ〜」で

忘れてくれると思う。無神経にもほどがある。

 

なんてこと聞くんだ、このおたんこなす!


と言えないマダムのために

私が代わりに怒ります。

 

おたんこなす!!

口に⚪︎⚪︎⚪︎を

突っ込んだろーか、あ?

(伏せ字は自粛、

 ヒント:うちの商売道具)

**********

このお便りには続きがある。

 

ご本人はご謙遜されているが、

きちんと自分の状況、気持ちを整理し、客観視した上で

文章にできているというところ、

密かに感服しています。


360°ぐるりと冷静な文章って

なかなか書けないもんです。

 

**********
鬱の治療をするしかない、というか。
がんと診断されたら、多くの人は、

鬱っぽくなると思います。
つらい治療はたくさんあると思います。

医師は治療をしてくれるけれど

手術が怖いとか、抗がん剤がつらいとか、

後遺症が悲しいとか、術後の障害を

受け入れられないとか、

そんな問題は

患者が自分で乗り越えないと

どうしようもないと思います。


でも、

それが難しい気がします。


病気を受け入れて、治療を乗り越えていくには、

どんなことを気をつけて、

どんな心構えでいることが大事でしょうか。

**********

 

そうだよ、難しい。とてもとても難しい。

心構えもクソも

もういい加減痛めつけられちゃってるんで

ほんとは息を吸って吐いてるだけでもよし、としたい。

まずはハグ。ぎゅーっ

 

なぜ自分だけが、とか

あの時ああしていたら、とか

後悔や自己憐憫や

取り返しの付かなくなった状況や

果たせなかった約束

遠い未来を思い描けなくなったり

どうせ私なんて、と思ってしまったり・・・・


それってふつーなんで。いいのよ、それで。

 

頼りない主治医でごめん。

なんの助けにもなれずにごめん。

難しい、って思わせてごめん。

手を握って一緒に泣くしか、できない日もある。

 

入院中のベッドサイドや

外来の診察室でちょっとだけ会うだけの間柄では

なかなか励ますことも

ご本人の真のお悩みを解決することも

難しいんだけれど

 

まだ舞台の幕が降りてないし

まだ試合も終わってない、

そんなマダムにお伝えしたいのは

 

あなたはこの世から

惜しまれていますよ。

 

ってことです。ここだいじ。思い出して。

 

私は、ご多分に漏れず

元旦には神社を三つお参りし

葬式は仏式(たぶん)、正月にはしめ縄のくせに

クリスマスにはいそいそと玄関にリースを飾る、

ごく一般的な日本人ですけど

それでもやっぱりどこかに神様って、いる!

とか思っています。

で、神様の「ストライクゾーン」は

人間のそれとずいぶん違うんですよ。

もう諦めていいですか、もうアウト!退場!!

でええやんと思っても

まだ、まだ、っていつも言われている気がする。

 

手術中に、正直、ゾーンに入ることがあって

絶対にできそうにないこと

できなくても当然とみんなが思うこと

できたら奇跡と思われること

が、突然何かが降りてきたみたいに

できちゃうことがあるんです、たまに。

それは私に降りてきたんじゃなくて

もしかしたら手術を受けているマダム専用の神様が

「まだこの人は、この世に用事があります」

ということで

代わりに手を動かしている、

そんな気がするんですよね。

あれ?できちゃった、みたいな・・・

そんな時、この人にはまだまだ

何かのお役目があるんだなと思うことにしています。

同じようなことを

このギョーカイで有名な先生が

神様が自分の手を借りていると思える瞬間がある

とおっしゃっておられた、のを

どこかの講演で聞いたことがあるので

あながち、珍しいことでもないのかも。

ギョーカイでアンケートを取りたいくらい。

 

まあそんな大掛かりなことでなくても

ふとした拍子に

例えばちょっとした処置をしているとき

外来で話をしているとき

ベッドサイドで一緒に泣いているとき

時の氏神は誰かの口や手を借りて

マダムに寄り添っているような気がしてならないの。

つまり、マダムの手術が無事にできたってことは

まだまだこの世での修行は終わってないということで

辛く悲しいこの現実を

げんなりしつつも受け入れるべきか、と思います。

 

自分の命が自分のものだけ、

という考え方はある意味、傲慢で不遜。

実のところ。

 

神様が許可していないのに

さっさと試合を降りてしまうなぞ

あの世に行ってなんと申し開きをすれば良いのか

考えるだに恐ろしいため

この世で修行が続いているうちは

お互い、目の前のやるべきことをやるってことで

だめですかね?

 

一緒に泣いて、一緒に笑いましょうよ

この世ははかなく、そして愚かだが

時にいじらしく、美しい。…ではありませんこと?


・・・・っつって説得してもリアルには

通用しない頑固マダムもいますけどねー苦笑

外来でせっせと講釈たれて何時間も付き合っても

結局、前線を去る人も珍しくありません。しょんぼり。

私の貴重な時間を返せと言いたい。


医者より先に

本人が諦めんじゃねえよ。

 

最終的にはどう生きるかってのは

個人に委ねられます、たぶん。

第三者が口を挟めるところじゃありません。

でも一点だけ真実なのは

死んでしまえば残るのはたいてい、

「周囲からの評判」だけ。

そしてそれを聞くのはあなたの大事な人たち、です。

一回こっきりの大評判を掻っ攫う、

千載一遇のチャンスに向かって

見栄を切りますとも。ええ、花道で。

やったろうじゃないの?

 

ささ、マダムもご一緒に。

嘆いとる場合か。これからしばらく、忙しいYO!