「いや、22世紀やろ」
 
 
 
 
 
 
今朝、両親と私の3人で仕事の話をしました。
 
電話を取ったのですが、なんだか妙な印象が拭えないお客様で少し引っかかったので、どういう方か教えてもらっていました。
 
 
 
 
私「どういう方なの?理論武装型?」
 
母「うぅん、言葉選びに少し品が欠けるというか…」
 
父「そうだなぁ…」
 
 
 
 
でも「私も変だからなぁーはははは」と自分のことを笑ったら、変だって自覚あるんだねと笑われました。
 
 
とても不快で半ギレでしたけど。笑
 
 
 
だからつい言い返したんですよね。
 
 
 
「変だって言うけど、22世紀とか23世紀になれば、私みたいな人間が普通って言われるようになるんじゃないのかな」と。
 
 
 
 
すると父は
 
 
 
「22世紀にはそうなるだろう」と言いました。
 
 
 
 
え、そう思う?23世紀を待たずして、22世紀って言ったね?
 
 
私と父、水瓶座なんですよね。(突然の意味不明水瓶座宣言)
 
 
 
 
 
私が面と向かって、初めて変だと言われたのは小学生低学年の頃です。多分、その頃から変なんです。
 
 
 
特別ということとは違う。
 
 
 
大人になってからは、多数派ではなく少数派という言い方で表現されるような考え方。常識や倫理の把握はしていますが、その時々の人工物であることへの違和感に馴染めません。
 
 
 
強い・自立している・芯があるなんて言われると耳障りはいいですが、心底そう思っている人がほぼいないことも知ってる。つまり変。
 
 
だって、私頭おかしいもん。普通じゃないって自分でも知ってる。
 
 
 
虚勢を張らないと生きられないだけの、お豆腐メンタルなんだけどな。誰も知らない。なかなかの演技派憑依型俳優です。
強さと同じ分量だけ、自分は弱いと思っています。自身の扱いに困ることだってある。
 
 
 
 
堰が切れたら私の精神は崩壊します。
壊れないように必死なだけ。できるだけ静かに全てを傍観したい。
これまでも、これからも、自分のダムを自分で守る。
 
 
 
 
あと数年。時が経てばきっともっと穏やかに今を振り返られる。
 
 
 
 
だから今は、今を生きることが最優先事項。
生きている、って当り前じゃない。
生きたいという前向きさはないけど、自分で断つことはしない。正確には、できない。
 
 
 

今日を生き抜いて、明日を生きる。
目の前のことしか頑張れないし、それすらできない時もあるけど、今日も生きた。
 
 
頑張ったよ。
 
 



 
 
 
ありがとうございます。
では、またね。