令和7年6月半ば、
鎌倉歴史文化交流での特別展、
「平泉から鎌倉へ〜兵どもが夢の先〜」へ。

(※『兵』と書いて『つわもの』と読む。)

館内では、
“撮影禁止マーク”の無い物ならば撮影OK!




ここからは、
奥州平泉をモデルにした、鎌倉について。
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既に現存していないが、
鎌倉の永福寺や勝長寿院は、平泉の中尊寺や無量光院をモデルにしてたとか。



こちらは、
永福寺正面の山の上に埋納された経筒の“蓋(ふた)”として使われていた、
渥美片口鉢(あつみかたくちばち)。
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こちらは、埋納経筒の外側を覆っていた、渥美甕(あつみがめ)。
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蓋と甕をセットで。
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最後に、後三年合戦絵巻の下巻を。
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これは、江戸時代の作品らしい。
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中央には、源義家と藤原清衡。
右端は、藤原家衡の家臣・千任(ちとう)が木に縛られ、その足下には藤原武衡(たけひら)の首が。
(右端は、藤原武衡が処刑される場面。)
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以上、鎌倉歴史文化交流での特別展、
平泉から鎌倉へ〜兵(つわもの)どもが夢の先〜、
終了!