東海道、旧・和田村の和田一里塚跡から更に京方面へ歩く。


陽が傾きかけた中、見えて来たのは…

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露心庵跡?



ここは、本来の名称は有松庵だそうだが、
ここを建立した関一門の露心の名から、通称・露心庵となったという。

何故、露心庵が建てられたのかというと、
天正12年(1584年)、亀山城を急襲した神戸正武の軍勢を、関 万鉄斎が僅か13騎で撃退した時の戦死者を供養する為だったとか。




この辺りが亀山宿の江戸側の出入口だったようなのだが、
露心庵は、残念ながら、明治の頃に廃寺となったらしい。