東海道、四日市宿に入り、なが餅の『笹井屋』本店を過ぎ、少し歩くと…

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この建物は、旧・福生医院。
現在は四日市宿資料館となっているのだが、この日は既に閉まっていた。
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同時に、ここはかつての問屋場跡でもある。





旧東海道から少し逸れた所には、四日市宿陣屋跡。
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現在は、四日市市立の中部西小学校となっている。






四日市宿は、1724年〜1801年間の大和郡山藩支配の時代以外は、幕府直轄領だったという。

江戸時代を通じてここに代官所が置かれ、明治維新後は三重県庁としても使われていたが、
明治9年(1876年)に焼失したという。








陣屋の部屋数は、最終的には42室にまで増えた模様。
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四日市宿は、
宮宿から四日市湊までの『十里の渡し』が在り、
伊勢参宮街道への分岐点も近かった為、旅人で賑わっていたらしい。



この日の歩き旅はここまでとして、宿泊!