令和6年9月半ば、

キック・ザ・ツアーで埼玉県比企郡へ。


比企城館跡群の一画。



埼玉県立嵐山史跡の博物館の後は、

すぐ隣の菅谷館跡へ。



菅谷館は、鎌倉幕府初期の御家人・畠山重忠の本拠地で、

その後、戦国時代に至るまで改造されつつ使われた城砦である。




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博物館裏に出ると、そこは三の郭(くるわ)の外側。
建物跡が在る。
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嵐山史跡の博物館自体が菅谷館跡の内側に建っているのが解る。
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三の郭の外側を囲う空堀に水が溜まっていた。
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徐々に西ノ郭の方向へ。
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三の郭の北西端の土塁。
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三の郭と西ノ郭の間の、蔀(しとみ)土塁。
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搦手口の在る西ノ郭から敵が侵入した場合、
三の郭の奥まで見渡す事が出来ない様に、視界を邪魔する様な土塁の配置となっている。

蔀土塁の裏側に待ち伏せの兵を配置しておく事も可能かと。