鎌倉歴史文化交流館から今小路西遺跡前を経て、次は鶴岡八幡宮の西側へ。
ここには、
文化交流館の展示にも有った
“鶴岡八幡宮二十五坊跡”が。
その路地の入口。
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入って行くと、草原…
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道の両サイドの金網の向こう側は、草原。
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若干の民家は有るものの、ただただ草原。
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おそらく、この草原が二十五坊の跡地かと。
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奥に行くと、何やらセツメイ板が。
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ここには、
神仏習合時代の、神宮寺の「坊」が建ち並んでいたと。
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そして、ここが古都保存法発祥の地でもある。
鶴岡八幡宮の裏山が開発されそうになった時(所謂、御谷騒動)、地元の人々の運動がきっかけとなり、
昭和41年、終には国会をも動かし“古都保存法”が誕生したという。

古都保存法に基づいて“歴史的風土保存地区”に指定されると、
イシコロ一つでも一切動かす事が出来なくなるので、
下手をすれば荒れ放題になってしまう危険性も有るとは思うが、
開発によって失われるよりはマシかなと。

ほぼ誰も来ない二十五坊跡を見ながら、
イロイロと考えさせられた。