令和6年、最初のキック・ザ・ツアー。


鎌倉大仏の高徳院を出て、北西に400m程。


大仏ハイキングコース入口に繋がるこの階段を昇り…




ハイキングコースには入らず、そのまま進むと、
『国指定史跡・大仏切通』の標柱が。



源頼朝の発案で、
鎌倉の内外を繋ぐ為に拓かれた狭い山道。

俗に、“鎌倉七口”と呼ばれる、7箇所の切通しの1つ。





もし、敵が鎌倉に攻め寄せた場合、大軍が一気に入って来られない様に、
敢えて狭く造られている。






ここは、下って昇る途中の、一番低い所。
更に、クランク状になっている。
大軍の列が確実に渋滞を引き起こし、スピードが落ちた瞬間、崖の上からの投石や弓による攻撃で殲滅する狙いが。



実はこの切通、
江戸時代には人々の往来の便を考えて幅を拡げられているそうだ。




それでもこの狭さ。
鎌倉時代には、もっと狭かったハズ。