鎌倉幕府初期の有力御家人・比企能員邸跡に建つ妙本寺。



祖師堂前には、比企一族の墓。




比企一族の墓に向かって右手の苔生した階段を昇ると、
そこには、比企能員の娘で鎌倉幕府二代将軍・源頼家の側室となった讃岐局(若狭局)の墓が。
↓(右側)

比企能員の変の折、自身が生んだ頼家の嫡男と共に討たれたという。


「讃岐局蛇苦止霊之墓」と刻んである。



讃岐局の墓から見下ろす位置、手水舎の裏手辺りには、
「一幡之袖塚」。



「源頼家嫡男一幡君之墓」と刻んである。



比企能員の変で焼失した比企氏邸跡から、
一幡の遺体は発見されなかったのだが、
焼け焦げた小さな羽織の袖が発見され、
これが一幡の羽織であろうと言う事で、葬られたらしい。


それぞれに、合掌。