鎌倉・宝戒寺の南東、東勝寺跡。





1333年、新田義貞によって鎌倉幕府陥落。

北条得宗家最後の当主・北条高時、及びその一族郎党は、
この東勝寺で自害したという。



東勝寺跡は、史跡保護の為に金網で囲われ、入れない。



奥の崖には、中世横穴墓・ヤグラが見える。




いつか、ここに入れる日は来るのだろうか…?




因みに、東勝寺跡の裏手には、
『北条高時腹切りやぐら』が在るのだが、
崩落の危機に瀕しているので、立入禁止になってしまっている。

ま〜た、何年放置されるんでしょうかね。

史跡は、“観光都市”鎌倉の大事な収入源なのだから、
史跡保護予算を削っちゃ〜いかんと思いますよ。
鎌倉市の偉い人〜!