久々に、ガイドブックに出て来る王道の鎌倉。


頼朝の法華堂(墓所)の次は、すぐ隣の斜面のこちら。




大江広元&毛利季光親子と、島津忠久のヤグラ。



ヤグラとは、鎌倉特有の中世横穴墓。



斜面に三つ並んだヤグラの、
一番右側は、島津忠久。
前の記事(源頼朝の墓)でも書いたが、
幕末に御家の正当性をアピールしようとしていた薩摩島津家が、頼朝の御落胤等という噂の有った初代・忠文の墓所を探し出し(ww)、石造りの玉垣等を整備したという物。




中央は、『鎌倉殿の13人』にも出て来た鎌倉幕府の重臣・大江広元のヤグラ。



そして一番左側が、
大江広元の四男・毛利季光のヤグラ。


毛利季光は、江戸幕府体制下の長州藩・毛利家の先祖で初代。


こちらは、幕末に相模湾の海防の任を幕府から命じられた長州藩が、薩摩島津家同様に、御初代の墓所を探し出し、御初代の親である大江広元の墓所共々整備した物である。

大江広元は、鎌倉幕府御家人であると同時に、問注所の別当(長官)を務め、他の御家人より官位も少し高かったので、長州藩毛利家は名門・薩摩島津家よりも少し格上アピールをしたかった模様。