久々に、ガイドブックに出て来る王道の鎌倉。
頼朝の持仏堂だった白幡大明神の脇の階段を上がると…
源頼朝の墓。
ここが、頼朝の法華堂が建っていた場所らしい。
大きな石の五重塔。
これを建てたのは、江戸時代後期の薩摩藩主・島津重豪らしい。(ペリー来航の20年前に亡くなっている。)
(※島津の御初代が頼朝の御落胤だとかいう噂を利用して、源頼朝は我が先祖だとするアピール=外様大名は幕政に関与させてもらえないが、我が家は名門だというアピールの為。ただし、御落胤でなくとも、鎌倉時代の御家人で薩摩守護を命じられて以来、ずっと薩摩を領有し続けているだけでも、名門だと思うが。)
しかし、注目すべきは、
その背後に有る苔むした小さな五輪塔。
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こちらこそが、源頼朝の本来の墓石か?
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