令和4年3/5に割れてしまった殺生石にまつわる伝説。







九尾の狐が那須野で討たれ、近付く人や動物をたちどころに死に到らせる程の毒を発生する大きな石に変化してから
200年程後の南北朝時代後期の事。

“殺生石”と呼ばれるようになった大石の性で、すっかり人が寄り付かなくなった那須野を、
会津の示現寺を1375年に再興した“源翁心昭”和尚が訪れたという。

殺生石の噂を聞いた源翁和尚、経文を唱えながら杖でこの殺生石を一撃!

たちまち殺生石は砕け、破片は各地に飛び散ったと言われている。
(現在、殺生石伝説は、那須以外に、大分・広島・岡山・新潟・福島…その他、複数存在している。)

源翁和尚に砕かれた那須の殺生石は、それ以降、毒を出さなくなり、人や動物も近付けるようになったという。
(現在の那須温泉一帯。)






因みに、九尾の狐を祀る神社も在る。

殺生石のすぐ南側、那須温泉(ゆぜん)神社の
境内社・九尾稲荷神社。
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こちらは、更に南、栃木県大田原市の
玉藻前神社。
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御存知のとおり、那須温泉は火山性ガスが現在でも確認されるのだが、
その昔は本当に人が近付けない程の濃度の有毒ガスを発生させていたのだろう。
(現在でも、時折、温泉地近くの窪地でイノシシの死骸が見つかったというニュースを聞く事が有る。)

人命を守る為に、この九尾の狐の様な妖怪譚が考え出されたものと推測されるが、
そこに“鎌倉殿の13人”にも出て来た実在の人物達が登場するのは、非常に面白い。




歴史は常に動いている。