令和4年3/5に割れてしまった殺生石にまつわる伝説。
九尾の狐との戦いに敗れた
三浦義明、千葉常胤、上総介広常の三将は、
再戦に備えて“犬追物(いぬおうもの)”による訓練を始めた。
“犬追物”とは、
ある程度の面積の土地を柵で囲い、その中に放った犬を馬で追いながら鏃を外した矢で狙うといった、狩猟の訓練であると同時に、軍事訓練も兼ねた物である。
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那須野の大地を駆け廻る九尾の狐を追いながら弓矢で狙うのには、最適な訓練であろう。
ある時、那須権守・須藤貞信の夢に、許しを乞う人間の娘が現れた。
その娘は、自分が九尾の狐であると言ったそうだ。
三将は、これが九尾の狐が弱っている証拠と見て攻撃に出た。
激しい戦いの末、三浦義明の放った矢が九尾の狐の首と脇腹に命中。
動きの止まった九尾の狐の首を刎ねたのは、
平“上総介”広常の長刀(なぎなた)だったという。
歴史は常に動いている。