令和4年3/5に割れてしまった、

那須温泉北方の殺生石にまつわる伝説。





古代中国の王朝“殷”が反乱により滅亡した時に逃げ去った“九尾の狐”だが、

その後、周の12代王・幽(在位、BC781年〜BC771年)の時代にまた姿を現す。


幽王の妃・褒娰(ほうじ)は、なかなか笑わなかったという。

ある時、絹が裂けるのを見て僅かに笑うと、幽王は国中の絹を裂かせた。


その後、緊急事態による非常召集の為の狼煙(のろし)を上げたものの、それは杞憂に終わり、集まった諸侯が右往左往しているのを見た褒娰は初めてハッキリと笑った。


これを見た幽王は、その後、何度も用も無いのに狼煙を上げては諸侯を集めたという。


やがて、反乱が起こり、それに呼応した西域の遊牧民・西戎(せいじゅう)と呼ばれた犬戎(けんじゅう)が侵入して来た時、

幽王が狼煙を上げたものの誰も集まらず、幽王は処刑され、周は滅亡してしまう。

(幽王は西周最後の王とされ、その後の王朝は、東周となる。)


幽王が処刑された時、褒娰はいつの間にか姿を消していたそうだが、

この褒娰が九尾の狐だったという噂がある。





歴史は常に動いている。