令和4年3/5に割れてしまった

那須温泉北方の殺生石にまつわる伝説。





“九尾の狐”とは、
古代中国大陸の王朝「殷(いん)」(※BC1600年代〜BC1046年)末期に現れた妖狐で、
尾が9本に別れ、体長7尺程(尾を除いて2m強)だったとか。

殷の最後の王・紂(ちゅう)の妃・妲己(だっき)は、
紂王をそそのかし、
無実の人を“炮烙の刑(ほうらくのけい)”に処しては、
笑っていたという。
“炮烙の刑”とは、火の上に油を塗った銅の棒を渡し、
その上を歩かせるといった刑罰であり、
当然、その上を歩く人は、渡り切る事は出来ずに業火の中に落ちてしまうものである。

BC1046年、反乱が起こり、
紂王は周の初代王となる武に処刑され、妲己も同じ運命を辿るかと思われたが、
その妲己、処刑人を欺いて逃亡を企てたという。

しかし、太公望(封神演義で有名な道士)の照魔鏡によって妲己の正体が九尾の狐である事が判る。

太公望の宝剣により、体を3つに裂かれ斃されたかに見えた九尾の狐だったが、これは幻術・妖術によってそう見えたものであり、
九尾の狐はまんまと逃げおおせたと言われている。

その後、九尾の狐は何処へ行ったのか…?




歴史は常に動いている。