栃木県・那須温泉の北方に、

“殺生石”と呼ばれる石が在る。




令和4年3/5に割れてしまった、その殺生石にまつわる伝説を。





平安時代後期、鳥羽上皇の時代。
(天皇としての在位は、1107年〜1123年。その後、1142年まで上皇。出家して1156年まで法皇。)

子の無い夫婦に育てられた藻女(みくずめ)という娘が18才で宮中に出仕し、
やがて、鳥羽上皇に仕える女官となり、
玉藻前(たまものまえ)と呼ばれるようになったという。

玉藻前は、その美貌と博識によって鳥羽上皇の寵愛を受けるようになったのだが…
程無くして、鳥羽上皇が病に臥すようになってしまったらしい。

医師が診ても原因は不明。
しかし、陰陽師・安倍泰成によって、玉藻前の仕業であると見破られると、
玉藻前は、その正体を現す。

玉藻前の正体は、妖孤・九尾の狐。
九尾の狐は、そのまま宮中から逃亡したという。

そもそも“九尾の狐”とは…?




歴史は常に動いている。