横須賀市の三笠公園内、記念艦“三笠”。




左舷8cm補助砲の列から艦首方向へ進む。



時鐘。




上甲板トイレ跡(床部分)。



左舷前部の15cm副砲室。
下級兵士は副砲室にハンモックを吊って寝ていたそうで。



前部30cm主砲前から艦橋&マストを見上げる。
三笠は、燃料節約したいorエンジン故障の折には、
ここに巨大な帆を張り“帆船”としても航行可能だったと。



アンカー(碇)の鎖。




艦橋部分へ。
下から紹介。

先ずこちら、全部司令塔は、戦闘時における操舵室。


およそ戦艦という物は、
自身の最大兵器と同等の物で攻撃されても防げるだけの装甲が施されている。

こちらは、厚さ35cmの鋼鉄の壁で囲まれている。
(30cm砲の直撃にも耐えられる。)


その内部。



その真上には、国際信号旗が纏められた部屋が。



その外壁には、ここへの着弾により戦死者が出たという銘板が。


明治37年(1904年)8/10の、“黄海海戦”時の記録。



そのすぐ上には、通常時における操舵室。



で、更に上には、戦闘指揮所。
前部主砲塔、そして艦首まで見渡せる。
(現在、その先には、米軍横須賀基地。)


日露戦争・日本海海戦の時、連合艦隊司令長官・東郷平八郎は、敵からの至近弾が炸裂する中、厚い鉄板に覆われた司令塔内にお入り下さいとの部下の声も聞かずに、
ここに立ち続けたという。

やはりここにも、戦死者の銘板が複数。
(八角形の銀色に輝くヤツ。)


日本海海戦時の戦闘指揮所の様子。