東海道、旧本宿村の法蔵寺。


その奥の墓地に向かうと目に入るのが…



『近藤勇首塚』という看板!

あの新選組局長の近藤勇である!



この階段の上らしい。
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そして見えてきたのが、
近藤局長の胸像と石碑。
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しかし、何故、近藤勇の首塚がここに??

慶応4年(明治元年*1868年)4/25、板橋の刑場で斬られた近藤勇の首は、京に送られ三条大橋の西側に晒されたのだが、
新選組の生き残りの同志がこれを奪取。
生前の近藤勇が慕っていたという新京極裏寺町の孫空義天和尚に供養を依頼したかったというのだが、
孫空義天和尚は、この法蔵寺貫主として転任していたので、ここまで首を運んできたのだとか。

しかし、まだまだ徳川や新選組は『敵』として認識されていたので、石碑を土で覆い隠し、無縁墓のようにしておいたという。

昭和33年になってから、寺の記録に基づいて調査した結果、この石碑が発見されたのだとか。





こちらが、発見された石碑。
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我々も、静かに合掌。