燈明堂跡から長い坂を登って行った先に、
千代ヶ崎砲台跡が在る。
戦国時代の城と似た構造(馬出※うまだし)で、入口から見るといきなり土塁が視界を遮っている。

国指定史跡である。

幕末の頃、江戸湾防衛の一環で、
会津藩によって築かれた
“平根山台場”が在った所。

明治25年から明治28年にかけて、旧陸軍が建設した砲台。

2門×3砲座で、合計6門の28cm榴弾砲が配備されたという。

しかしながら、訓練は別として、実戦で発砲する事は1度も無いままだったそうだ。

敵の艦隊が東京湾に侵入し、首都東京を直接攻撃する事を想定し、
猿島要塞や観音崎砲台~富津岬の間の第1~第3海堡を含む、所謂、“東京湾要塞”の一角を為していた。

平成28年には、日本遺産へ。
第二次大戦の後、
昭和35年(1960)~平成25年(2013)までは、
海上自衛隊の通信基地となっていたが廃止され、
その後長く整備工事で閉鎖されていたが、
昨年、土日祝のみ一般公開されるようになった。