鎌倉・北条義時の法華堂跡のすぐ脇の崖に…

ヤグラ!



三浦泰村一族のヤグラと伝わる。

ヤグラの内部には、供養塔が。



源頼朝に仕えて以来、
その後の鎌倉幕府内では、
北条得宗家と有力御家人との争いの中で巧く生き残って来たものの、
遂に北条得宗家と直接対決に到り、最期は源頼朝の法華堂前で一族郎党500人と共に自刃。
三浦氏本家は滅亡したという。




因みに、
戦国時代に北条早雲と戦い敗れた三浦道寸は、
鎌倉時代の三浦一族の分家筋・佐原氏の子孫だったそうだ。



三浦泰村一族のヤグラから、鶴岡八幡宮方面に戻る途中、
とある建物の裏手の崖に、埋もれたヤグラが。
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忘れ去られたヤグラもまた、鎌倉の魅力。







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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