東海道 新居宿。
旅籠 紀伊国屋を出た我々は、
すぐ近くの
“小松楼 まちづくり交流館”へ。

外観は昔とほぼ変わらず…らしい。
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小松楼は、
明治34年に紀伊国屋のすぐ裏手で開業、
大正初期に、80m程奥の現在地に移転したという。

“芸妓置屋 兼 料亭”という、珍しいスタイルでの営業をしていたとか。

通常、“置屋(おきや)”というのは、
芸妓(げいぎ)を料亭の御座敷に派遣するのを仕事とするのだが、
小松楼では、その料亭・御座敷までも、自前で営業していたそうだ。

昭和20年代前半まで、芸妓置屋 兼 料亭として営業し、
第二次大戦中は、旅館として営業。
戦後には廃業して、
芸妓の“寮”だった部分を間貸し・借家として解放していたらしい。

内部写真はパンフレットから。

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ガラス障子は大正の頃のまま。

大正の頃のオルガンも残されていた。
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三味線や太鼓も当時のまま。
2階の外柱(ベランダ状の柱)が、やや外向きに傾いているのだが、
これは老朽化による物ではなく、
芸妓が外を通る常連客を見つけると身を乗り出して手招きしやすいように、
敢えて傾かせているのだとか。

以上、今回の東海道ウォーク、
袋井宿~新居宿までの旅の記録、終了!
ここから西への歩き旅は、またいずれ!!
※
最後に、
『歴史のお話』での“東海道Vol.11”(浜松宿~新居宿)の録画を、改めて御覧頂ければ幸いです。
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