東海道。
若林一里塚跡のすぐ先には、仏式の御堂?
これは、「二つ御堂」と呼ばれ、実は道を挟んで向かい合って建てられているのだが、
南側の御堂の写真が無い!
この二つ御堂の北堂は、
奥州平泉の藤原氏三代目・秀衡(ひでひら※晩年には、源義経を匿った。)が、上洛中に病に倒れたという知らせを聞いた秀衡の愛妾が、
ここ若林まで来たところで“秀衡病死”の報を受け、秀衡を弔う為にこの御堂を建てた上で、
愛妾自身も亡くなってしまったという。
しかし、実は秀衡の病死は誤報であり、奥州平泉に帰る途中で愛妾の死の顛末を聞いた秀衡は、
その愛妾の為に南堂を建てたとか。
誰も得をしない話である…。