東海道。


この広い原っぱの正体は…




天竜川の河川敷!




江戸・徳川幕府体制下では、
橋は架けられずに“徒歩渡り”!

人足に金を払い、1人で肩車状態、
もしくは、
複数人で輿を担いでもらうシステム。

金を払わずに単独で渡る者も居たそうだが、
事故があっても知らないよと。
その場合は、あくまでも自己責任。


現代人の我々はこの橋を渡る。
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かなりの河幅。

対岸は、遥か彼方。

ここを自分の足で徒歩渡りをする勇気は…
無い。

この日は河幅の半分以下の水量だったが、
上流で少しでも雨が降れば、
河幅も深さも、とんでもない事になる。



その為、梅雨や秋雨の時期には、
度々“川止め”となり、
そうなると両岸の宿場(見付宿&浜松宿)は、
否応無く繁盛したという。



まだまだ渡河中~。
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よ~やく、渡り切った!
                            ↓


かつて、西国の大名行列が平坦な東海道よりも険しい中山道を選ぶ事があったそうだが、
安倍川・大井川・天竜川といった河川が川止めとなれば、
行列の人数分の滞在費がかさむので、
敢えて中山道を選ぶ理由も解る。



“暴れ天竜”をクリアした我々は、
更に西へ!





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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