鎌倉幕府執権・北条得宗家終焉の地と言われている

『東勝寺』の跡地へ。




今は遺跡保護の為に、金網で覆われたこの空地が、
かつての東勝寺のエリア。



3代執権・北条泰時に創建され、
1333年、鎌倉が新田義貞に攻め込まれた時に
北条高時以下一族郎党がここに集まり自害したという。



室町時代に再建されたそうだが、戦国時代の混乱の中、途絶えたらしい。




ただの草原のように見えるが、
平成8~9年の調査で、焼失を物語る建物跡と、
炭化層が確認されている。




奥の壁面には、
鎌倉時代の横穴墓“ヤグラ”が在る。
(写真のやや右側)



伸びた草に隠れて見辛くなっているが。