八王子城。

八王子神社に隣接しているのは、松木曲輪。


“二の丸”とも呼ばれていたとか。


秀吉の小田原征伐の折り、
敗れたとは言え、
ここで前田利家の軍勢を迎え撃った中山勘解由家範の勇猛ぶりが徳川家康の耳に入り、
その遺児が取り立てられ、
やがて水戸徳川家の家老になったという。




この石碑は、八王子城についての解説が書かれている。
大正8年に当時の八王子市長が書いた物(碑文最後部分)だが、
最上部の『八王子城址碑』の文字は、
江戸時代には小さいながらも大名として存続した“北条氏規”家の御子孫の物のようだ。
(碑文最初の部分・宮中顧問正三位勲一等子爵 北条氏恭)
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いよいよ本丸へ!!