初戦こそ、不意を突かれた和人側に365人もの死傷者が出て、
シャクシャイン率いるアイヌ側が有利かと思われたが、
幕府の命令によって出兵した三藩連合軍が本格的に動き出すと、様相は一変。
特に、幕軍側の鉄砲の前には、アイヌ側はほぼ何も出来ずに後退を余儀なくされた。
1669年11/16、事態を長引かせたくない幕軍から、
賠償の品を出せばシャクシャインは助命するという条件で、和睦が提案された。
その条件を受け入れ、アイヌ側は新冠(ニイカップ)川近辺の松前藩陣営に向かった。
基本交渉合意の後、酒宴となったのだが、
なんと、ここでシャクシャインが謀殺されてしまったという。
翌11/17、シャクシャインの本拠地・静内のチャシが陥落。
こうして、世に言う“シャクシャインの戦い”は、あっけなく終了した。
歴史は常に動いている。