1669年6/21、石狩以外のアイヌの一斉蜂起により、
不意を突かれた和人側は
356人が殺傷されたという。

これに対し、松前藩主・松前矩広は、
家老・蠣崎(かきざき)広林の指揮で、兵を国縫(くんぬい)に出陣させた。



同時に幕府に援軍を要請。
当時は、4代将軍・家綱の治世である。

幕府は、
秋田 佐竹藩
盛岡 南部藩
弘前 津軽藩
の、3藩に出兵命令を下した。

直ちに3藩は兵を整え、津軽海峡を渡る準備に入った。








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