日本書紀の記述の信憑性について。

日本書紀は、700年代初頭、“古事記”と同様に
天武天皇の命令で編纂が始まったわけだが、
完成したのは720年(養老4年)5月、元正天皇の時代である。

“乙巳の変”で、蘇我蝦夷の館と共に焼失してしまった“国記”&“天皇記”に変わって、我が国の歴史書を新たに編纂するのが当初の目的であったが、
天武天皇崩御後に藤原不比等が編纂チームの中心メンバーになった所から、何かが変わる。

日本書紀は、基本、対外的に日本の歴史を知らしめるという意図の下、
純漢文体で書かれているのだが、
“乙巳の変”の辺りは、日本で考えられた漢文(所謂、倭習or和習)が混在しており、
後に加筆された可能性が有るという。

有り体に言えば、
藤原不比等が、父・鎌足の起こしたクーデターを美化・正当化する為に、
対立していた蘇我入鹿を大悪人とする“印象操作”をしたのではないか?…という事である。

そして、蘇我入鹿を大悪人とする為には、
蘇我氏の中で入鹿だけが突然暴走したと言うのでは無理が有るので、
その父・蝦夷、そして祖父・馬子までをも、
皇室を蔑ろにする大悪人であると思わせる記述を加えたのではなかろうか?
滅ぼされて当然な一族と印象付ける為に。






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