さて、ここまで日本書紀における崇峻天皇暗殺についての“不自然”な点を挙げて来たが、
今回は、あまりにも堂々と書かれている為に、多くの人がスルーしてしまっている問題について。

繰り返しになるが、『日本書紀』は、国家の認定する正式な歴史書“六国史”の一作目である。

そこに、なんと崇峻天皇暗殺実行犯が東漢直駒で、
駒にそれを指示した黒幕が、
当時の大臣(おおおみ)・蘇我馬子である事が
はっきりと書かれているのである。
(※これでは“暗殺”にならない。)

しかも、このように正式な歴史書で犯罪者認定(しかも、時の天皇を暗殺するという、言うなれば“国家反逆罪”)された蘇我馬子が、
糾弾されたり討伐された様子が一切無く、
そのまま次の推古天皇の時代にも“大臣(おおおみ)”として権力の中枢に居続けている。

こんな事が有って良いものだろうか?
時の天皇を暗殺した真犯人が一切罪に問われる事も無く、大臣(おおおみ)であり続けるなどという事が!?

正式な歴史書に書かれる程、誰もが知っているぐらいはっきりと犯罪者認定されているにも関わらず糾弾されないのは、
馬子がそれほど強大な権力者だから…という声も有るが、
そうであれば、そもそも天皇を立てる必要も無く、表も裏も誰に憚る事も無く馬子が金看板としてトップに君臨すれば良いのに、
馬子は終始一貫、“天皇が居なければ国は治まらない”という立場を取っている。

時折、“崇峻天皇暗殺の本当の黒幕は、皇位に就きたかった次代・推古天皇だったから…”という、後付けの理由も聞こえてくるのだが、
推古天皇はそもそも敏逹天皇の皇后だった御方で、天皇の毎日の“祭祀”がどれだけ大変な事かをよく解っていたハズなので、
(※例えば、これは現代の陛下の話ではあるが、1日の最初の祭祀“四方拝”だけでも、日ノ出前から大祓詞という長い祝詞を東西南北に13回ずつ、合計52回も唱えて、長時間を費やさなければならない。)
推古天皇が皇位に就きたいが為に崇峻天皇暗殺を指示したというのは、考え難い。

果たして、日本書紀の記述を鵜呑みにして良いのだろうか…?







歴史は常に動いている。