崇峻天皇が、臣下の者に暗殺された唯一の天皇であるという記述のある日本書紀だが、
これを何処まで信じて良いのか?

まず、日本書紀は、国家の認める正式な歴史書“六国史”の一作目という位置付けであるので、
ここに書かれている事は信ずるに足る…と思ってしまうのが自然な流れである。

しかし、ここから疑ってかかるとどうだろうか?

日本書紀の編纂チームの後期主要メンバーに、
“藤原不比等”が居る。

藤原不比等は、蘇我入鹿を擁する蘇我本家を倒した“乙巳の変”(いっしのへん)~“大化の改新”の功臣・中臣鎌足の息子であり、
日本書紀では、鎌足を礼讃する為に蘇我氏を貶める記述を意図的にしているのではないか…?
という疑いも。

その延長線上で、蘇我入鹿と、その父・蘇我蝦夷、更にはその先代・蘇我馬子までをも貶める事によって、
蘇我氏は皇室を蔑ろにする大悪人とする“印象操作”をしたのではないだろうか?

それもこれも、
全ては、宮中・皇極天皇の面前で蘇我入鹿を討ち取るというクーデターを計画した父・中臣鎌足の行動を正当化する目的で、藤原不比等が画策した結果だったのでは…?

ここまで考えると、崇峻天皇の暗殺を蘇我馬子が指示したという記述も、疑ってかかる必要も出て来るのではなかろうか…??







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