日本書紀によると、
崇峻天皇暗殺の原因は、その約1ヶ月前、
崇峻天皇5年(593年)10/4の事とされている。

この日、崇峻天皇の所に“猪”が献上されたという。
この猪を見た崇峻天皇は、
『いつかこの猪の首を斬るように、憎い人物を斬りたい!』
と言ったとか…。
その後の朝廷での武器の集め方が尋常ではなかった…。

この話を聞いた蘇我馬子は、自分が狙われていると感じて警戒し始め、
一族を招集し、崇峻天皇を“弑する(しいする)”計画を練ったという。

※弑する(弑逆=しいぎゃく)とは、
目下の者が目上の者を攻撃(命を奪う)する事。
その逆、目上の者が目下の者を攻撃する事は、
“誅する”(ちゅうする)。

これが、日本書紀に書かれている“発端”なのだが、
では、それ以前から蘇我馬子は崇峻天皇に命を狙われるような関係に有ったのだろうか…?







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