長和6年(1017年)5月、
三条上皇が崩御。
5/12には、
源頼光から後一条天皇に、三条上皇の葬儀が滞りなく行われた旨が報告されたという。
同年12/4、政界を引退していた藤原道長に、
太政大臣宣下が下る。
後一条天皇の元服の加冠役として、である。
元服の儀式が終わって暫く後、
寛仁元年(1018年)2/9、道長は太政大臣を辞任。
翌月、源頼光に“大江山夷賊追討”の勅令が下る。
※この話は、
『大江山絵詞』『御伽草子』『今昔物語』等、
複数の資料に見られるが、
その時期が“長徳の政変”直後(996年)その他、
異説も数々存在するのだが、
ここでは寛仁元年(1018年)説を採る事とする。
大江山は、平安京の北西、丹後半島の付け根辺り、現在の京都府福知山市大江町に在る。
ここに、京の人々に仇為す“賊”が拠点を築いているという事で、追討の勅令が下ったようなのだが、
これが所謂、大江山の鬼“酒呑童子”の話のモチーフである。
歴史は常に動いている。