長徳の政変から約3ヶ月後、
長徳2年(996年)7/30、
源頼光が仕える藤原道長は太政官のトップ・左大臣に昇進する。

翌年、長徳3年(997年)5/15、
頼光は、藤原道長が主催した競馬(くらべうま)に、“勅使”(天皇の遣い)という立場で参加している。

長保3年(1001年)3/28、
頼光は正五位下に昇進。
美濃の国司と春宮大進を兼任となる。

※因みに、寛弘2年(1005年)9/26、
頼光同様に藤原道長と親交が有り、その前年には雨乞いを成功させたとして一条天皇から被物(かずけもの※衣服?)を下賜されたという
陰陽師・安倍晴明(最終位は従四位下・播磨守)が没している。

寛弘8年(1011年)4月には、春宮権亮に昇進。
同年10/19には、正四位下に昇叙。
この少し前、但馬守に就任した時には昇殿を許され、
所謂、“殿上人(てんじょうびと)”となり、
名実共に武家貴族と呼ぶに相応しい存在となった。






歴史は常に動いている。