寛和2年(986年)6/24、
源頼光が仕える藤原兼家は、
既に右大臣(太政官の第二位)の地位に在ったが、
即位したばかりの一条天皇の“摂政”兼任となる。

そして同年7/20、右大臣を辞して摂政専任となる。

永延2年(988年)、
そんな藤原兼家の邸宅・二条京極殿の新築祝いとして、
頼光は馬を30頭贈ったという。

永延3年(989年)12/20、
摂政・藤原兼家は、太政大臣兼任となり、
翌年、
正暦元年(990年)5/5、一条天皇元服時の加冠役となり、
直後、摂政(兼 太政大臣)が不要となり、兼家は関白となるのだが、
3日で関白職を長男・道隆に譲って出家してしまう。
そして、兼家は2か月後の7/2に病没してしまった。

同年、藤原兼家の葬儀が行われたが、
源頼光は、
その当時、正三位・権大納言だった藤原道長(兼家の五男)の振る舞いに感服し、
それ以降は道長に臣従するようになったという。







歴史は常に動いている。