寛和2年(986年)6/22の夜、
花山天皇が出家し、一条天皇が即位する。
花山天皇の出家は、
藤原兼家が自身の娘・詮子と円融天皇との間に生まれた子・懐仁親王(一条天皇)を即位させたいが為に画策したとも言われている。
(※この陰謀については、当時の太政官 中務省 陰陽寮の天文博士・安倍晴明が式神を放って察知していたとも言われている。)
この時、出家しようと元慶寺(がんけいじ)に向かう花山天皇を警護していたのが、
源頼光の父・満仲の一党で、その中に頼光も居たとか。
結果、一条天皇が即位し、居貞親王(おきさだしんのう)が立太子するわけだが、
ここで頼光は“春宮権大進”に就任する。
春宮(とうぐう※東宮)とは、皇太子の御所の内政を司る職で、
春宮権大進は、
春宮大夫、春宮亮、春宮大進に次ぐ第四位となる。
ここから頼光は、藤原北家の私兵だけでなく、
太政官の役人となり、
父・満仲同様、武家貴族への道を歩み出す事となる。
歴史は常に動いている。