清和天皇の孫・経基王が臣籍降下し、
源経基となり、その子・満仲の家に、
天暦2年(948年)、男子が生まれる。

満仲の本拠地・摂津多田か、京の屋敷かは定かではない。

“文殊丸”と名付けられたこの男子は、
元服して“頼光”と名乗る。

清和天皇から5代後となる頼光は、
寛和2年(968年)頃、20歳頃までには、
当時の京職(きょうしき※平安京の司法・行政・警察権を司る)のトップ・左京大夫だった
藤原兼家の下で、私的な護衛として働いていたという。

藤原兼家は、
藤原北家で従一位・右大臣・藤原師輔の三男である。

それから長く藤原兼家の私的な護衛として働いていた源頼光だったが、
40歳前あたりから急激に公式記録に多く出てくるようになる。





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