承和9年(842年)7/10、
伴健岑の話を聞いた弾正尹・阿保親王であったが、
皇太子・恒貞親王を奉じて東国に行くという事は、
東国に別の朝廷を構築する…即ち、国家に対する反逆ではないかとの疑いを持ち、
これを皇太夫人・橘嘉智子に報告したという。

この話は、すぐに橘嘉智子からその夫・嵯峨上皇に信任されていた中納言・藤原良房に伝えられ、即座に仁明天皇の耳にまで届いた。

そんな最中、
7/11、中納言・藤原良房は右近衛大将を兼任。

7/15、嵯峨上皇が崩御。

7/17、淳和&嵯峨、両上皇亡き後、
仁明天皇から、ある勅が出された…。





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