天長10年(833年)2月、
淳和天皇から嵯峨上皇の皇子・正良親王に譲位され、仁明天皇となる。
そして、淳和“上皇”の皇子・恒貞親王が皇太子となったのだが…
時を同じくして
蔵人頭(くろうどのとう)
兼
左近衛少将
となった藤原良房は、道康親王を皇太子に推していたという。
道康親王は、仁明天皇の皇子で、
母親は中宮・順子(藤原良房の妹)である。
この当時、皇位は桓武天皇の皇子である兄弟間での迭立(てつりつ)…即ち、兄弟の子孫達が交互に即位する形だったので、
皇太子は恒貞親王となっていたのだが、
藤原良房は、
自身の甥にあたる道康親王が皇太子になれば、朝廷内での自身の立場が有利になると考えても不思議では無い…。
歴史は常に動いている。