大同5年(810年)の“薬子の変”から13年後の、
弘仁14年(823年)
嵯峨天皇は弟の淳和天皇に譲位した。

そして、嵯峨“上皇”の皇子・正良親王が皇太子となった。

その3年後の天長3年(826年)、
かつて、藤原薬子の専横を牽制するように
蔵人(くろうど※天皇の秘書として機密文書を扱う)に任命され活躍した
藤原冬嗣の子・良房が蔵人となる。

その翌年の天長4年(827年)、
皇太子・正良親王と中宮・順子(藤原良房の妹)の間に男子が生まれ、
この子が道康親王となる。

この道康親王の存在が、
皇室の権威に僅かながら影響を与えることとなる…。




歴史は常に動いている。