令和大嘗宮の記憶。
実は、この大嘗宮、
江戸城天守台のすぐ前に建てられていた。

明暦の大火で焼け落ちた天守閣を再建しようと、
加賀100万石・前田家に命じて石垣だけは造らせたものの、
天守閣よりも街の復興に金を使うべきと言う
老中・保科正之の意見により、
建てられる事無く現在に至るという天守台。


大嘗宮の裏側を見た後…


退出口へ…

東京駅に近いのは平川門。
しかし、平川門は不浄門である故、
ここは迷わず北桔橋門(きたはねばしもん)へ。
こちらが北桔橋門。
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北桔橋門は、天守台の裏側。



北桔橋門を出て振り返ると、天守台裏側。
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北桔橋門を出て、両サイドの堀を見下ろす。
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次に大嘗祭が行われるまで、生きていられるかは判らない。
貴重な物を見せて頂いた。
大嘗宮は、複数の建物が密集しているが、
それぞれに用途・意味が有る。
参考までに…
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以上、令和の大嘗宮の記録!
終了!