東海道。

久津部一里塚跡から西へ進むと…


七ツ森神社。




裏手からは戦国時代の“久野城”が見える?
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大化の改新より前には、“久努国”と呼ばれたこの地を治めていた“国造(くにのみやつこ)”が
主祭神らしい。



更に、“七ツ森”の名の由来が。
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“小夜の中山”から“日坂宿”の伝説で、
平安時代、勅命により蛇身怪鳥を討った藤原義政の話が有ったが、
その戦いで命を落とした配下の武士達7名の墓が在ったとか。

実際は、
古墳時代末期の小型群集墳だったのかも?



いざ、境内へ!