東海道。

小夜の中山、“妊婦の墓”から少し下ると…


夜泣石跡?


久延寺の住職によって子育飴で育てられた“子”の
母親が殺害された現場だという。

夜泣石は…無い!


夜泣石は、
かつては広重の絵のように道の真ん中に在ったそうだが、
明治天皇の東下の際に道の脇に移動されたとか。

更にその後、
東京の博覧会に出品された後、
ここまで戻す事が出来ずに、
現在の国道1号線脇に置かれる事になったそうだ。

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因みにここは、広重の絵のような45度をはるかに越える程の角度ではない。
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