東海道。

子育飴の扇屋から先は、下り坂。


すぐに見えてきた一里塚は、
佐夜鹿(さやしか)一里塚。


佐夜鹿=小夜の中山(さやのなかやま)の事。

小夜(佐夜)とは、『賽(さい=さえぎる)』の事だそうで、
小夜の中山は境界の山…のような意味か。

かつての金谷宿と日坂宿の境。
今の、島田市と掛川市の境でもある。


この一里塚は、
日本橋から
52里(約208Km)
54里(約216Km)
56里(約224Km)
と、3説有るらしい。

この一里塚の設置場所が移動された記録は無いそうだが、
東海道の方が時代と共に若干移動しているので、それが原因かと。