東海道。

かつての江尻宿の中心部へ。


おそらく道幅は昔のままか…?

ただし、両側の建物は、ほとんどがビルとなり、
かつての面影は無し。


地図上では、本陣や脇本陣の位置が示されてはいるものの、
現場にはその痕跡は全く無し。

空襲で全焼した街の宿命か。



往時の江尻宿は、
大名が宿泊する本陣が3軒、
それに準ずる脇本陣が3軒、
一般の旅籠が50軒と、
やはり清水湊という海運の中継点が近いという事もあり、賑わっていた模様。