東海道。

増田平四郎像&一里塚跡を過ぎ、少し進むと…

元吉原宿跡の碑?
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実は吉原宿、津波で二度も壊滅し、移転も二度しているそうで。

元吉原というのは、江戸時代初頭の1616年までの宿場。

因みに、二度目の津波は1680年だったとか。



徐々に日没へと…
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焦り始める我々。

JR吉原駅近くの河合橋(ここも元吉原宿内らしい…)を渡る頃には、完全に日が暮れていた。
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名残りの松…マックラ。


この辺りは、西に向かう道筋でありながら、
富士山が左手に見える、通称“左富士”と呼ばれているそうだが、
もう見えない…。



吉原宿まであと少し!