密告により長屋王邸が藤原宇合の率いる六衛府の兵に包囲され、長屋王と吉備内親王及びその子達4人が自害した
729年2月12日の事件は、
後に“長屋王の変”と呼ばれる事となるが、
その6ヶ月後、藤原四兄弟の妹で聖武天皇妃の光明子が、正式に皇后となる。

皇族出身ではない女性が“皇后”になる事は、当時としては異例の事だ。

現代の学校教育では、ここから妹を皇后とした藤原四兄弟の専横的な政治の始まりとされる事が多いが、
実のところ、この時点では長男・武智麻呂が中納言、次男・房前がようやく朝議に参加できる最低ラインの参議で、
三男・宇合と四男・麻呂は、まだ朝議に参加できる議政官にすらなっていない。



それから8年後、
737年7月、藤原武智麻呂は従二位・右大臣、その他、3人の弟達は参議となり、
藤原四兄弟は皆、議政官となっていたのだが、
この時に流行した天然痘によって、
なんと4人共病死してしまったのである。


当時の人々は、藤原四兄弟のぼぼ同時の病死は長屋王の祟りと噂したという…。





歴史は常に動いている…。