辛巳事件で大きな波風を立ててしまった長屋王だったが、
その後の三年間は、蝦夷の散発的な反乱は有ったものの、
大きな動きは見せていない。

しかし、727年2月、朝廷内の役人に対して、その後に大きく関わる指示を出したという。

太政官各省のトップから第四席(かみ・すけ・じょう・さかん)までの役人の勤務評価の報告を義務付けたのである。

この評価は四段階で、上位二段階の者にはボーナスを、
そして、最低評価の者は解任するというものだった。

それまでは、一度官人として登用されれば、よほどの事が無ければ解任される事が無い…言葉を変えれば、ぬるま湯に浸りきったような職場だった所が、
一転、針のむしろに座るような状況になったのだ。

これは、役人に対する引き締めとしては確かに効果が有ったようだが、
同時に、左大臣・長屋王に対する反発を増大させたのもまた事実であった。



歴史は常に動いている…。