右大臣になってからすぐに長屋王が採った貧困対策は、
誰もが最初に思いつくであろう事…減税だった。

当時の『租・庸・調』税政から、様々な減税パターンを打ち出している。

畿内の公民に、一年間の“調(基本は布、布が難しい場合は地域の特産品)”免除。
その他、七道諸国の公民には、一年間の夫役(労働)免除。

陸奥・筑紫の公民に、一年間の“調”と“庸(労役に代えての布か米)”免除。

実は、それまでも藤原不比等がやっていた政策の踏襲であったが、根本的な解決にはなっていなかった。

収穫高が上がらなければ、貧困から抜け出す事は出来ないからである。

同時に、公地の田畑の面積はほぼ変わらず、公民の人口だけは少しずつ増加しているという問題も有った。




歴史は常に動いている…。